「仇討ち」という言葉から、私は血生臭い復讐劇を想像していた。しかし、永井紗耶子さんの『木挽町のあだ討ち』を読み終えたとき、心に残ったのは清々しいほどの感動と、人の温もりだった。この物語は、表向きは若き武士・菊之助の復讐劇だが、読み進めるうちに、私はこの話の真の主役は、彼を影で支え続けた作兵衛ではないかと思うようになった。
作兵衛は、身分こそ武士ではない。しかし、主君の命令を命懸けで守ろうとするその姿には、現代の価値観を超えた「武士の美学」が宿っている。自分を犠牲にしてでもお家を守るという、封建時代の価値観を見事に体現しているのだ。
また、菊之助の母の言葉も忘れられない。「家に帰ってこなくてもよい」という一言は、一見冷たく聞こえるが、その実、息子に「作兵衛を殺すのが嫌ならそれもよい」という武家の嫁としては極めて異質な判断をしているのだ。
そして、木挽町の人々が皆、菊之助を盛り立て、この嘘を作っていく姿も印象的だ。それは菊之助本人の資質もあるだろうが、一生懸命に「義」を貫こうとする者に対し、損得抜きで手を貸す江戸の人々の粋な優しさを感じ、胸が熱くなった。
この物語には、私欲のために動く家老のような「悪」は存在するが、それはメインの主題ではない。目の前に現れる人々の中に、本当の意味での悪人は一人もいない。それが、読後の爽快感に繋がっているのだと思う。
真実を暴くことだけが正義ではない。誰かを守るために命を懸けてつく「美しい嘘」が、絶望の淵にある人を救うこともある。作兵衛が守り抜いた「忠義」の形を通して、本当の強さとは何かを深く考えさせられる一冊だった。